いつもより早く目覚めた朝、自分の中に生まれた恐怖感と向き合って対処法について考えてみたら、思いもかけないステキな瞬間を迎えることができた。
寝坊した昨日とは打って変わって今朝はかなり早く目を覚ました。
そこで突如としてザワザワとした恐怖感が自分の中に生まれたことに気がついてしまった。
すごく居心地の悪い感じがして、落ち着かない。
どうすればいいのか?と悩むのはいいが、ここはブログに書き出して、そのまま記事にしてしまおう。
というわけで、何をそんなにビビってしまっているのか考えてみる。
まず、今後の目標について、このあいだ妄想丸出しの記事を書いた。
▼これからどうしたいのかを書きなぐった記事。
そして、昨日は妻の誕生日を楽しく過ごしたという記事を書いた。
▼妻の誕生日について書いた記事。
どちらも別に嘘や誇張を書いたつもりはなく、ありのままを書いただけだ。
ここで今朝になってムクムクと頭をもたげてきた1つの考えがある。
「別に今までと違った生き方を目指さなくても十分に幸せなのだから、このまま今の仕事を真面目に定年まで勤め上げればいいんじゃないのか?」
というものだ。
どうやら恐怖の正体は自分が変わっていくことに対するものらしいぞ。
考えを進めてみよう。
もちろん、今まで通りでいいという考えがあることは認める。
詳しくは書けないが、今の仕事は十分に社会的意義のあるものだし、その発展に寄与するために世界中の様々な人達が努力を重ねているのは事実だ。
ただ、周りを取り巻く環境が変わり、個人としての時間がすごく制限されていく中で、今までと同じようにモチベーションを保ち続けることが難しくなってきた。
極端な例えになるが、もし明日死ぬとしたら、それでも今日その仕事をして1日を過ごすかと言われたら、絶対にやらないと言い切れる(「仕事そのものをやってる場合じゃないでしょ」って言われたらそれまでだけど。まぁあくまで例えです)。
ただ変わることが怖いのなら、今までだって人生の中で色々な選択をしてきたし、様々な変化を経験してきた。
色々としんどいことはあってもこれほどの怖ろしさを感じたことはない。
何か今までと種類の異なるものがあるはずだ。
もっと考えを進めてみよう。
さっき社会的意義について書いたが、人の生き方という視点に立てばいちいち社会的意義だとか、生産性だとかを考える必要はない。
どう生きるのかはあくまで個人の自由だ。
そう考えれば何も怖がる必要などないのだけど、怖くなってしまうのは何か理由があるはず。
大げさだが、今までどんな生き方をしてきたのかが鍵となる気がする。
思うに今までは紆余曲折ありつつも、「周囲の期待を裏切らない、人から認められる、人の役に立つ」ような存在であることを信念として生きてきた気がする。
問題なのはこれは自分自身がどうしたいのかというよりも、「第三者の目線で見て正しいのかどうか?」ということを重視しすぎてきたことだ。
自分の価値観、自分軸ではなく他人の価値観、他人軸を重視してきた。
そうであるならば、今感じている恐怖感にも納得がいく。
これは今までの生き方から逸脱することへの恐怖感ではなく、逸脱すると他人から思われることへの恐怖感だ。
だから他者目線で元の道に戻そうと自分の中で揺り戻しが発生しているのだ。
なんだそういうことか。
それならば何も怖がる必要はない。
だいたい、ブログで自分の考えを開陳したからといって、現在、一体どれほどの人が読んでくれているのだろうか?
(読んでくれている方々、不快な思いをさせたらごめんなさい)
このブログ自体まだまだ始めて間もないし、プロフィールも適当だし、顔写真も本名も公開していないし、記事とSNSを連動させているわけでもないから、読んでくれているのはごくごく限られている人たちだけだ。
フィードバックを受け取れる仕組みすらちゃんと作っていない。
書いている本人としてはブログで何かを公言することを大げさに捉えているが、例えるなら、渋谷や新宿の喧騒の中で耳を澄ましても聞き取れないくらいの小さな声で独り言を言っているに過ぎない。
もし通行人を捕まえて、耳元でがなり立てるような真似をしても、広大なネットの海の中では話をまともに聞いてもらえるかどうかもわからない。
実際はその程度のものなのだ。
万が一ネガティブな反応が返ってきたとしても、わざわざ額面通りに深刻に受け止める必要などない。
それは、以前、ものくろさんのセッションを受けたときに気づいたことでもある。
▼個人セッションを受けたときの記事はこちら。
こうしてザワザワとした居心地の悪い恐怖感の正体に気付いてしまった瞬間、別の感覚が自分の中に生まれてきた。
これから楽しい未来が訪れるんじゃないかというドキドキ感、ワクワク感だ。
本当に胸が高鳴ってきて嬉しい気持ちが溢れてきたから不思議なものだ。
今、ここで、まさに新しい自分に生まれ変わろうとしている。
その瞬間に立ち会うことができたすごく素敵な朝のひと時だった。
まとめ
朝早く目覚めてきづいた恐怖感について深堀りして考えていく中で、他人目線で人生を生きてきたことに気づいた。
その途端、恐怖感がワクワク感に変わってきた。
自分の感情をブログに書くこと、アウトプットして考えていくと思いも寄らないところに行き着くことができる。
また一つブログを書くことの効用と利点に気がつくことができた素晴らしい朝だった。