【日々雑感】ゴールや目標が叶わないことで得られるメリットは何か?

何かをしよう、新しいことを始めようとしたり、毎日これに取り組もうとしてもどうにも続かなかったり、あるいは立てた目標や夢に描いたゴールそのものがなんだか陳腐でつまらないものに思えてくる。

その理由は目標、ゴールや夢が叶わない方が自分にとってメリットがある、現状を維持した方が都合がいいとどこかで考えているからだ。

どんな風に考えてしまっているのかを深掘りしてみた。

例えば、英語学習。

なかなか続かないが、特に日常業務の中で必要に迫られているわけでもない。

つまり、学習することで得られるメリットそのものも少ない。

コミュニケーションの幅を広げて様々な国々の人と交流してみたいけど、そもそも人と交流すること自体に面倒くささを感じている部分もあるため、あまりメリットを見出せていないのだろう。

だから、やるとしたら英語学習に何らかの目標、目的を設定するのではなく、ただ単に学習することそのものを楽しめるような仕組みを作っていく必要があるわけだ。

つまり、何かのために英語を学ぶのではなく、英語を学ぶことそのものを楽しめればいい。

今はNHKラジオの「基礎英語3」を教材に使っているが、前に購入したNational Geographic の子ども向け科学読み物のような本を教材にして、楽しんでやっていければいいのかなぁ?

とまぁ、それなりに解決策が見えてきたので、取り組み方をどんどん変えてみよう。

さて、次の項目。

このブログの執筆について。

簡単なプロフィールの欄では「さまざまな人と交流したい」と書いているが、今は実際のところどう思っているのか?

知らない人との交流など煩わしいと思っている部分がないわけではない。

歯切れの悪い書き方になるが、交流することで新しい学びや自分の成長に結びつけばいいが、変な人に絡まれて疲弊するのは勘弁してほしいというのが正直なところだ。

幸いにしてまだお問い合わせフォームなどを設けていないのでポジティブ、ネガティブに関わらずフィードバックや感想を貰える環境は構築していない。

それもいいのか悪いのか…。

迷うところがあるのは仕方ないとしても、いまいち踏み込めていないのはどうしてだろうか?

他人との交流を深めたいという気持ちと、それを煩わしいと思う気持ちが混在していては、ブレーキを踏みながらアクセルを踏むようなものなので、スピードが出ないのも当然だし、行きたいところにたどり着けそうにない。

たどり着いた先に見える風景が明確にイメージできていないのも問題なのだろう。

つまりは目指している方向に向かっていった先に見えるゴールの風景、ゴールテープを切る場面やその時に感じるであろう達成感や嬉しさの感覚、得られる感情がまったくイメージできていないのだ。

となれば、まずはその場面をありありと思い描くことを始めてみないと。

よしよし、これも少しだけだが解決策が見えてきた。

では、今より交流が深まった先に待っている風景とはどんなものなんだろうか?

人の意見に左右されやすい傾向があるので、はじめのうちは考え方があっち行ったりこっち行ったりとブレるだろうが、そのうち「人がどう思っていても私はこう思う」という自分なりの意見、考え方が定まってくるだろう。

その上で新しい価値観や考え方にも触れる機会を作っていけば、自分の意見がどんどん洗練されたものになっていくし、誤った情報や極端な意見に振り回されなくなるだろう。

あらあら良いことづくめだな。

不安な気持ちに陥ることも少なくなるだろうし、例えそうなっても回復するのに時間がかからなくなるだろうな。

となれば、クローズドな空間で、こんな風に独りごちていないで、人からフィードバックを得る仕組みをさっさと作ってしまおう。

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ちょっと怖いがやってみるしかないな。

この記事を書いた人

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のりさん

アラフフィフ世代で二児の父。
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